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10.162019
Interview : 医師 谷川仁美
プロフィール
平成7年大分医科大学(現:大分大学医学部)卒業。
出身は長崎で、両親のルーツは五島列島福江島。
隠れキリシタンの島です。
大学時代に手話の活動を通して、障がいのある方との交流が多く、人工内耳にあこがれて耳鼻科医になりました。
3年目は悪性腫瘍の手術に明け暮れる日々を過ごしました。
その後、結婚、出産、2児を育てながら、障がいのある方と共に過ごす、という夢の実現のため、恩師鈴木康之先生(東京小児療育病院・みどり愛育園)のすすめにより、小児科医として再出発。
一般小児診療と重症心身障がい児(者)医療を半々くらいでやってきました。
五島では、聖マリア病院で離党診療も経験し、高齢者の方を幅広く診た時期もありました。
日本の重症児医療の歴史と想い
日本はとにかく重症児(者)を完全に守ってあげるっていう国で、重症児施設なんかも海外にはないので、海外から視察に来られた方がすごいビックリする。
そういう歴史も知ってもらえたら、すごく嬉しいなって思う。
重症児の父と言われている人は、島田療育園をつくった小林提樹先生。日本初の施設をつくった方は、1人目の赤ちゃんを髄膜炎で亡くされている。
その後、びわこ学園っていうところが2番目にできたのですが、
びわこ学園をつくった糸賀一雄先生の“この子らを世の光りに”というすごく有名な言葉があって、障がい児福祉に関わる者は知らない者はいないと言われてる。その方も2番目のお子さんが重度の障害があって、自分の子供がそういう境遇にあったっていう方の原動力がすごく強い。
糸賀先生は、戦災孤児をずっと集めて見ている中で、どうしても障がいの重い子たちがいて、障がいの重い子のグループ“すぎのこ組”というのをつくるんですよ。それが今のびわこ学園に発展した。
日本はそういう施設の歴史が先ずはあり、施設はどんどん高齢化していって、今は在宅の支援っていうのが、ここ20年くらいですかね。徐々に徐々に充実してきたのかなって思います。
重症児(者)の福祉、医療については非常に尊い歴史があります。
自分が生きる意味、生きがい、この世での使命、お役目、皆さんこういったことをお考えになることがありませんか?重症児(者)の方々の、生きる使命は何か?
私はこのように考えています。
“この方々には人を変える力がある。生きているお姿そのものが、命について人に考えさせる力を持っている。出会った人に生きるいみについて考えさせることがこの方たちの使命だ”と。
重症児の世界というのは、本当に日本独特のもので、日本人の生命倫理感がすごく関わっている。なので、私が訪問やるときも、やっぱり重症児に対する想いっていうのが、すごくずっとベースにあります。
私が15年くらい前から、在宅のお母さんたちと交流してて、結局ショートステイさせたくても今もそうですけど、枠がない。預け先がないんですね。
お母さんが一人で全部頑張ってるケースもあって、一生懸命それを私もずっと一緒に付き合っていたけど、夢ひとつ叶えてあげられない。お母さんたちの希望を。
私の恩師である鈴木先生の教えが、“先ずお母さんの話を聞きなさい”っていうのがその先生の教えで、だから私はひたすらお母さんの話を聞いてきました。
お子さんが残念ながら亡くなったあと、看護師さんやヘルパーさんになった方もいました。ヘルパーさんになった方は、自分が支援する側になって、いかに自分が守られていたか分かったと話してくれました。
長崎で活動していた頃は、お子さんが私と同じくらいの世代の方の頃は、お母さんが車椅子に乗せて毎日学校まで通っていた。とにかく医療的ケアの子が学校に通えるようになったのは、ここ数年のことですものね。
特別支援学校においても、お母さんが常に付き添いだった。それをとにかく毎日学校に連れて行って、普通校に連れて行く方もいれば、昔の名称でいう養護学校に連れて行くお母さんもいた。
この学校に行くぞと思ったら、2年ぐらい前から学校に働きかけて、特に兄弟児さんがいたら一緒に連れて行っちゃって、どんどんどんどん校長先生にアタックするんです。長崎もみんなそうやって、エレベーターとか獲得していきました。ただね。校長先生変わっちゃうと、あらっていうこともある。
この20年見てきて、すごく恵まれてきてると思うけど、どんどんそうやって動いていくしかない。
とにかく子どものためならお母さんは動けるので、どんどん動いて獲得してかないと。
ただ、私は何が何でも普通校派ではないので、特別支援学校は本当に手厚いし、その子の持っている能力を引き出す力があるので、私は別に全然普通校派ではないです。どっちでもいい。
学校に行っている間はいいんですが、高等部を卒業すると、生活の場がなくなるので、自ら今は障がい者総合支援で、生活介護というくくりで就労支援b型というのがあるけど、そういうところをつくっちゃうの自分たちで。
NPOからはじめて、社会福祉法人までつくっちゃった人もいて、すごい先輩ママも知っているし、なんかそういう方と繋がっていけたらいいかなと思う。
重症児を守る会という日本で一番大きな親の会があり、お母さんたちの情報交換の場が、以前はそういうところに出ていかないと分からなかった。
最近は、ネットとかですぐ繋がることができ、すぐ聞くこともできる。だから、お母さんたちの繋がり方も変わってくる時期なんだろなと思う。
ママは強いからね。いつか乗り越えますよ。受け入れたときに素晴らしいお母さんになります。
お子さんがいることで、ママもすごく強く優しく素敵な人になります。
障がい児医療の先駆者
私の恩師である鈴木康之先生と舟橋満寿子先生という、先生方がいる。
私は不肖の弟子なんです(笑)
とにかく私のベースはこのお二人なんです。
20年前に東京小児療育病院に一年間お世話になって、そのあと長崎に帰って、やり直しなさいと言われ、元々耳鼻科医だったんですけど手話をやっていたんで、人口内耳をやりたかったんですね。
そこで障がいのある方とたくさん出逢ってこういう仕事をライフワークにしたいと思って、鈴木先生との出会いがあって、“絶対辞めたらいけない、やりさない”と言われた。
長崎だと、先ず小児科医になってくださいという感じで小児科医になった。
私の重症児に対する想いとかは、やっぱり大学生のときからあって、それを無条件に受け入れてくれるのが、鈴木先生、舟橋先生。
私の恩師なんです。本当に素晴らしい方です。
障がい児医療で日本の最先端を全国に知識を伝えてきたのが、板橋の心身障害児総合医療療育センターの北住先生と児玉先生。(児玉先生は、現:ボバース記念病院)
ボバース法、ボイタ法というのが脳性麻痺児に対する理学療法として代表的です。
あとは、長崎の穐山富太郎先生も、私を無条件に受け入れてくださる方です。
脳性麻痺の方に対する愛情に溢れ、脳性麻痺の方を愛しておられて、エネルギッシュにご活躍されて、本もたくさん出していらっしゃいます。
日本の障がい児医療療育環境のこれからの課題点
時代の流れっていうか、今は先ずは施設よりも在宅支援だと思うし、ショートステイとか何かあったときの受け入れ先っていうので確保していかないといけないんだけど、今の施設はそれだけのキャパもないし、能力もないんですよ。
最初施設ができたのが1960年代なんですよ。その時は、重症の子たちが20歳を過ぎて成人して生き残っていくなんて想像してなかったんです、みんな。
でも、手厚い医療の結果みんな長生きできるようになる一方で、施設もそうすると今度は小さい子を診ることが難しいんです。だから、ショートステイも3歳以上のところが多いこと。
日本以外の障がい児医療療育環境が整った国
デンマークは、障がい児者医療療育環境がおそろしく整っていて、みんなデンマークに視察にいきますね。
どんな障がいの重い人も施設ではなく、地域で暮らすっていう、グループホーム的ではあるんですけど、それぞれみんな個室をもって、それぞれの部屋にリフトも完備があるとか、デンマークは先進国なので、よく視察にも行ってるし、そのツアーとかもありますよ。
育児インタビュー
子育てについて
先生が子育てで大事にしてきたことと、ママパパに⼤事にしてほしいことはありますか?
親の愛を伝えること。愛を伝えるのに手段は選ばない、という方針でした。障がいのある子もない子も子育ては同じです。
幼年期は体をつくる。就学してからは学校を中心に、理解力、社会性も育てていく。
外来でもよくお母さんたちに言うのが、何が正解かっていうのは分からないので、そのときそのときに自分が正しい思う選択を繰り返していくしかなくて、結果的にああすれば良かったということもあるかもしれないけど、結果論なんで、そのときそのときに良いと思う選択を繰り返していくしかない。
自分の子どもが小さい頃も、障がいの重い子のお母さん達とよく行動してて、重症児を守る会のキャンプに一緒にいったりとか、訪看さんも一緒に温泉いったりとかね。
その中で、飲んだりしてると「先生の子どもは元気だから、いいじゃない」って、やっぱり言われたことがあって、そうするとその時は返す言葉がなかったんだけど。
やっぱり自分の子どもが二人大学生になって今思うのは、障がいが重いのは確かに大変だけど、健康だったら悩みはないかっていったらそんなことない。親の悩みは一緒だよ。って、今なら言える。
悩みながら一つ一つ選択しながらやっていくしかなくて、それは一緒だよって言えますね。何が正解ってありませんからね。その子なりのペースを大切にすること。
例えば、障がいのない子でも生まれもったものがあるんでね。じゃ、勉強が難しい子にすごい勉強させたら、やっぱり苦しいじゃないですか。
だから、生まれもったものがあるので、その中でハッピーにね。事故や予期せぬトラブルに気をつけて暮らせればいいじゃないかと思いますね。
褒め方のひと工夫
先生がお⼦様の褒め⽅や叱り⽅で⼯夫していたところはありますか?
気分で叱り方が変わらないようにできるだけ叱らない(叱って良いことはほとんどありません)
反応が上⼿にできない、表情が少ないというお⼦様の場合、ママパパにできる工夫はありますか?
聴覚、平衡感覚、視覚、触覚などを刺激し、快、不快の反応を引き出してあげる。
褒めるときは、心地いい刺激で、それを探して、揺するとかね。
刺激しながら声掛けしてあげたり、心地いい刺激で声もいい声を掛けてあげるのがいいかもしれないね。
抱っことか、揺さぶりはいいんじゃないかな。
「やったー!」みたいなのもいいしね。
抱っこが好きな子なら、抱っこしてヨシヨシしてあげる。
やはり、表情とか手の動きとか反応を良くみてあげること。
緊張が意思表示のときがある。
緊張にも、悪い緊張と良い緊張もありますからね。意思表示の緊張は、良い緊張です。
あとは究極ですけど、心拍数はすごく分かります。
人がたくさん来てガヤガヤしてるとワーッて上がったり、「採血するよ」って言うと、「嫌だ!」って分かる。
楽しいことだとやっぱり心拍数が上がってる。
リラックスするような刺激なら、ゆっくりなると思います。で、どこか痛いっていうときは顔とか表情もきついし、緊張も強くなると思うんですけど、やっぱり心拍数も上がり、内面をさぐる手段となります。
知育と遊び
お⼦様の知育につながった幼少期、少年期の育て⽅はありますか?
教育は、親が子に残せる最大の財産ですから、教育にはお金も時間もおしみませんでした。良い先生を探すようにしていました。
絵本は毎日読み聞かせしました。親子の情緒面のつながり、就寝までの生活リズム、こどもの共感する力や言語能力を育てるのにとても良いです。また、絵本は大人のためのものでもあります。
お⼦様の遊び方や遊び道具はどんなものが多かったですか?
就学前は、できるだけ外遊びをさせてましたね。体を作ることが大事。今は積極的に探さなければ外遊びできませんから。
知育や勉強なんか、いくらでも後でできます。
体は。6歳までに、いかに外遊びをさせるか。でも、事故に気をつけて元気にいてくれるのが一番です。
私も、重症児を長く診ていて寝返りしてくれるとか、立ってくれるという喜びを知ってたので、子どもに対して多く望まなかったです。
本当に生きてくれていればいいというのが長く思っていること。
障がいが重いお子様の場合、家にいることが多かったり、外出があまりできないというママやパパも少なくありません。
おすすめの遊び⽅や遊び道具はありますか?
どんどん外に連れて出るんです。
一番の遊びは、外にあります。風に吹かれる、風を感じる、陽を感じる。
刺激を五感でいっぱい与えることができます。
外出や旅行など、万が一何かあったらと心配はあるかもしれないけど、
もし万が一そこで何かあったとしても、やっぱり充実した命っていうのが一番大事なので、心配心配でずっと家の中にいるよりもいいと思う。
重症児の世界で命の輝きっていうじゃないないですか、その子の輝きを感じて周りがみんな動いてくれたり、それぞれみんなが成長させてもらえて、優しくなれる。
本当にこの世を照らす光なんで、本当にそう思います。
ただ、家にいたら照らせないじゃないですか。
施設や病院にいる場合は、ボランティアの人などいっぱい入れて、そしてどんどん外に出してほしい。そこにいただけじゃ誰かに合わないと、その人の心を照らすことができないから。
家族の中の中心として、その子がいるってことが、それだけでもすごく意味がある。恩師である鈴木先生もいつも言っていました。命が輝くように、充実するようにって。
温泉とか浮力も気持ちいいので、すごくリラックスできますから。
プールもすごくいいですね。浮力で緊張が緩むんです。
触覚刺激もすごくいいですね。
例えばスライムとかね。ベターっとする刺激で、いろんな刺激を与えてあげる。
スヌーズリンっていう音楽と揺らぐ光。療育機関に行ったら、いっぱいあるのでおすすめ。
ベビーカーやバギーでどんどん外に出た方がいいです。いろんなところに。
スライムみたいな触覚刺激は室内でもできそうですね!
室内では、デイサービスなんかいくと前庭刺激とか、聴覚刺激はみんな好きだと思うんで、揺らすとか音楽はいいですね。
ゴロンゴロン転がしたり、シーツに入れてゆらゆらしたりします。
視力的なものは、どうしても視線をしっかり合わせて、そこから脳に繋ぐっていうのは難しいかもしれないけど、
聴覚系とか、前庭系、前庭とは内耳バランスをとるところ、揺れる刺激とかそういうのは感じさせてあげられる。
音楽は、その子が好きな音楽が一番いい。
例えば、おもちゃも握るというのは難しいが、足をよく動かす子であれば、例えば足あたると音が鳴ったりするのはいいかもしれませんね。
大体、反射的な動きから随意的な動きが始まる。
心地いい音なら、自分の意思でやろうっていうのを引き出してあげるのはいいですよね。
手が当たって高い音でチャラランって心地いい音が鳴ると、それを自分で鳴らそうとしたりね。
随意的な意思を持っての動きを引き出したい。
療育機関が作業療法によくそういうのを使いますね。
その子によって心地よい音って変わるが、大体、高いチャラランって音はみんな好きです。
あとは、ビー玉とかも転がすやつあるじゃないですか、金属のやつがあるんですけど、なんとかそれを聞きたいから、言葉がないような子でも、摘むというのは難しいですけど、これは結構音が出しやすいのでいいと思います。
心地いいときは、表情でやっぱり分かる。
あと、遊ぶときはいい姿勢にしないと手を使えないので、体幹をしっかり固定してあげると、上肢が使いやすいです。
鈴木、舟橋の本で“重症児療育マニュアル”という医者向けの本の最終盤で看護実践版“新生児医療から療育支援へ”は皆さん読んでいただける。分かりやすいのでぜひ参考にしてみてください。
五感を刺激し、快不快、喜びの表情を引き出してあげてください。
おすすめの音楽や本はありますか?
好む音楽はそれぞれのお子さんで違いますから、いろんな音楽を聴かせて、反応をみてあげてください。
やはり、童謡や、お母さんと一緒系は好きでは?
リハビリ以外の運動や姿勢
⾃ら動くことができず⼀⽇をベッドで過ごすことが多い場合、リハビリ以外に、ママパパたちだけでできる有効でおすすめな運動⽅法はありますか?
朝は必ずベッドをでて、活動モードにする。バギーや座位保持装置で、体位変換を多くし、天候がよければ、積極的に外に連れ出してあげましょう。
リハビリ以外に、ママパパたちだけでできる有効でおすすめな姿勢や体勢はありますか?
緊張の強い子に最強なのは腹臥位ですが、成長期は、無理に座らせると、体幹が潰れて、側彎を強くすることがありますから、PTさんと協力して、最適なポジショニングを探ってください。
兄弟について
一人っ子の場合、兄弟がいると良いと言われることが多いです。
例えば、うちの場合は、育児のリズムに慣れることが精⼀杯であったり、兄弟はほしいけど、⾔うことを聞かず⾛り回っていたりすることを想像すると今はまだストレスに感じてしまう可能性が⾼く、⼼配で踏み出せなかったりします。
それでも、ママパパのために兄弟がいるとよいところを教えてください。
障害のある子ない子にかかわらず、兄弟は多い方が良いに決まっています。
どうしても一人っ子ちゃんは集中しますのでね。お父さん、お母さんの気持ちが集中しちゃうと、あんまりいいことないんで、適度に分散して(笑)
一人っ子さんは、そういうものを背負わなきゃいけないんでね。
なんとかなりますよ。大丈夫。大丈夫。
みな、優しい子になりますし、手伝ってくれますよ。
逆に、現在兄弟がいるご家庭で、障がいのあるお⼦様と障がいのないお⼦様との育児バランスや兄弟のケアについてママパパが⼼掛けてほしいことはありますか?
重症児を守る会でも、十数年前に兄弟児さんへの支援というパンフレットを作っていますが、みんなが先ず障がいの重い子に声をかけるじゃないですか。二番目になっちゃうんですよね。
だから、まず兄弟に先に声をかけましょう、ていうのがありますね。
最後に、、、
miraiのママやパパへ
重症児と共に私も、20年過ごしてきて沢山のお母さんたちを知ってます。
本当にたっくさんのお母さんを。
一つは、お母さんが余裕がないと、お母さんが心の余裕が何よりも大事。
ママの中には随分、長いこと髪を切っていなかったりして、頑張り過ぎてストレスが発散できない、人にあたらないというママもいて、
そういう溜めちゃうママが一番心配。
やっぱり支援してくれる人が少ないと悲しみやうまくいかない思いが溜まってしまって、爆発する人が多い。
私が長崎で出会った人達は、支援が少なかったから、いっぱいいっぱいのママが爆発するところも見てきた。
でも、気持ちがわかる。抱えたらダメ。
だから、たまには預けて外に出掛けたり気分転換はすごく大事。
その場があまりにも少ないけどもね。
でも、今は日中来てくれるサービスも多いし、訪看さんも沢山入ってくれるし、以前に比べたらそういう時間はつくれる。
ママも自分の時間にちゃんとゆとりをもって、長いからね。これからずっと。
ゆとりをもつことが大事ですね。
健康な子も、障がいのある子も、子育ては、悩みながら、そのときに良いと思う選択をしていくしかありません。何が正解かなんて分かりませんから。
子供がハッピーでいるためには、お母さんがハッピーでいることが大事!
そして、パパに育児に参加してもらうには、まず、パパに優しくすることです。そうするとパパは育児も手伝ってくれます。
みなさんが育てているお子さんは、この世を照らす光、どんどん外に出て、沢山の人と会って、その人たちがお子さん達に優しくしてくれることで、その子達にもいいことがあるんです。
子供は先入観なんか持たない。先入観を持っているのは親だけだ。
だから、どんどん外に出しなさいって、保育園でもなんでもいいからって言ってます。
神様からいただいた命が輝くよう、みんなで支えていきましょう。
周囲の医療、福祉スタッフにたくさん相談し、時には甘えて、頑張りすぎず、みんながハッピーに過ごせると良いですね。